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レシフェ空港から市内へ安く行く方法

6月14日にレシフェでW杯日本戦が開催される。
この機会に、レシフェに大勢の日本人が来ることが予想される。

そこで、ひょっとしたら誰かの役に立つかもしれないミニ情報をここに記したい。

ブラジルでは、空港発のタクシーは、キロ当たり単価が高めに設定されている。
レシフェの場合、到着ロビーを出て出口を出たところに泊まっている
赤い縞のタクシーは空港タクシーなので、設定単価は通常のタクシーより割高になる。

レシフェで少しでも旅費を安くあげたいと考える旅行者は、
到着ロビーに着いたら、そのまま外に出ないで、
一つ上の階に上がって外に出ることをお勧めする。

一つ上の階は、出発ロビーなので、市内から空港に到着する人が集まる場所である。
出発ロビーの外では、青い縞のタクシーが捕まえられるのだが、
このタクシーは空港タクシーではないので、空港タクシーよりも単価設定が低めである。

ボアビアージェンまでなら、15レアル(700円弱)、中心街までは25レアル(1,100円強)で行ける。


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レシフェにできた新しい家族

深夜2時、私はレシフェの空港で荷物が出てくるのを待っていた。
3週間のペルー・ボリビア旅行からブラジルに戻ってきて、
眠たい目を擦っていると、隣のおばさんが声を掛けてきた。
話好きのおばさんで、色々と気さくに話しかけてくれるのだが、
今にも倒れそうなくらい眠かったので、彼女の話に相槌を打つくらいしかできなかった。

朦朧とした意識の中で、渡した私の名前のメモをきっかけに、
フェイスブックで知り合いになり、その後、何回かメールを交換するようになった。
レシフェに来たときはいつでも声かけてくださいといってくれていた。
レシフェには月2回のペースで出張していたので、
おばさんと知り合いになってから2ヵ月たったある週末、
彼女の家を訪問してみることにした。

その日は、午後5時までMBAの授業があり、授業が終わった後に、
おばさんが居るというオリンダの娘さんの家に行くことになった。
オリンダへはレシフェから車で30分強かかるのだが、学友のフラビオは
親切にも車でオリンダまで送ってくれた。

待ち合わせ場所のガソリンスタンドでは、おばさんが私の到着を待っていてくれた。
ブラジル風にアブラッソ(抱擁)と頬にベイジョ(キス)で歓迎してくれた。

案内されるままに、アパートに入ると、そこには白髪のご老人、2人の女性、
赤ん坊が居た。

白髪のご老人は、ニュージーランド人で、
おばさんから「こちらは娘の旦那です」と紹介された。
娘の旦那と言っても、そのご老人は一見すると70歳前後で
明らかにおばさんよりも年上に見える。

20代前半に見える女性はおばさんの孫で、その孫が抱えているのは、おばさんの曾孫
だということ。おばさんは50代後半くらいに見えるので、曾孫が居ると言われて、
なんだか、だまされているような気にすらなる。

おばさんもご老人も、とにかく話が好きな人で、こちらは相槌を打つばかりであった。
ご老人はブエノスアイレスに住んでいた期間が長いらしく、
スペイン語なまりのポルトガル語は意味がとりにくい。

壁には孫がクレヨンで書いてくれたという日の丸の絵や、
「シンゴ、ようこそブラジル、レシフェへ」というメッセージが張られていた。

おばさんは、興奮して、孫や娘に電話をかけ、私と話すように
電話を回してくるのだが、まだよく知らないおばさんの、そのまた孫や娘と
何を話していいのかなんてわかるはずもなく。「やあ、こんにちは」ぐらいしか
言えないのだが、それでもおばさんは大満足のようであった。

その日は、夜10時の飛行機に乗る予定だったので、
1時間半ほどで暇を告げると、「今日はウチに泊まっていくんだと思ったわ」
とおばさんの娘が当然のように言う。

何処の馬の骨とも知らぬ外国人を、知り合ったその日に自宅に泊めるというのは
日本ではあまり有り得ないと思うけど、ブラジルでは、しばしば起こる。

その日は夕食をごちそうになっただけでなく、
おみやげにチョコレートケーキとバラの花をもらってしまった。
私に親切にした所で、何の得にもならないだろうに、
なぜ、このおばさん一家はここまで親切にしてくれるのだろうかと思ってしまう。
おばさんは、ひたすらに日本人の礼儀正しさや秩序だったところを褒めちぎっていたので、
おそらく、日本人の私と交流を持つこと自体が、彼女にとって意義があること
なんだろうと推測する。

おばさんは、「私たちのことをレシフェの家族だと思ってください」と言ってくれた。
この家族とどのような関係が築けるのか不明だが、今後の展開が楽しみである。

ブラジルに人種差別は存在するか。

サッカー選手のダニエル・アウビスが、スペインでの試合の際に場内に投げられた
バナナを食べることで、人種差別にNoといった話は、ブラジルで大きな話題となった。

ブラジルは、南米の他の国と異なり、インディオ、白人、黒人の混血が進んでおり、
人種差別は少ないと何かの本で読んだことがある。

とはいえ、田舎に住んでいると、少なからず人種差別主義者に出くわすことがある。
私は、現在ブラジル北東部のレシフェにて、ブラジル人ばかりに囲まれてMBAを勉強している。
MBAというと、比較的教育水準の高い生徒が集まるものだと思うが、
そうではない場合もある。

私が通っているビジネススクールには、マウリシオというアメリカのコーネル大学
を卒業したという教授が居る。
彼は、ビジネススクールの教授だけでなく、コンサル会社のオーナーであり、
グローバルに活躍しており、中国などでも仕事で何度も言ったことがあるという。
それだけの経歴があれば、国際人としての素養を身に着けていて然るべきかと思うのだが、
残念ながら、とんでもない食わせ者であった。

彼の最初の授業の時に、私は日本人だという自己紹介をした。
そして、2回目の授業のある日に、廊下で彼とすれ違った時、
「あ、マウリシオ先生、こんにちは」と声を掛けると、
「よっ、シーナ!(中国)」と返してきた。

これには一瞬、相手が何を言っているのか理解ができなかったものである。
道端で「やーい、中国人!」と子供に言われることは大目にみることはできる。

しかし、かりにもアメリカでMBAも勉強した知識人でしょう?いきなり、「よっ、中国!」はないだと、
後々で怒りが込み上げてきたが、怒るタイミングを失ってしまった。

それだけなら、まだしも、マウリシオは、
授業中も、私に向かって、「ここにいる中国(シーナ)が、なんちゃらかんちゃら…」
と私をダシにクラスの笑いを取ろうとする。

頭に来たので、無視していると、
「何が起きているか分からないみたいだね(ポルトガル語が分かっていないのね)」
と言ってくる始末。

確かに、彼が言った下品なジョークは半分くらいしか意味が分からなかったが、
彼がどれだけ教育水準が低いかと言うことは分かった。
でも、その時は頭に血が上って、言い返すこともできなかった。

授業の後も、彼の無礼な態度で嫌な気分をひきずり、
ブラジル人が本当に嫌いになりそうになった。

時は夜中の10時。帰りのタクシーを拾おうとしたが、そういう時に限って
全然タクシーがつかまらない。

本当に今日は、ツイてないなーとため息をついて居ると、
隣にいたオバチャンが、大げさな身振りをしながら「タクシー!!」と
叫んだと思うと、いとも簡単にタクシーを捕まえてしまった。

「くそー、こちとら、10分も捕まえられずにいるのに…」と心の中で
ボヤいていると、そのオバチャンが、こちらに手招きして、
「これに乗りなさい」と言ってくれたのだ。

そう、オバチャンはタクシーを拾えないでいる見ず知らずの私のために
タクシーをとめてくれたのだ。
心が折れていた時だけに、その優しさが身に染みた。
捨てる神あれば拾う神ありとはこのことだ。

二週間後、再びMBAの授業のある日になった。

イタリア系移民のホッシーニと言う太った男がクラスメイトに居るのだが、
彼が、教室に入るなり、「おう、元気?シンギリンギ(※)?」と言ってきた。

※シンギリンギとは、「中国製の製品(価格は安いが、品質の悪いもの)」という意味。

おそらく、私の名前(シンゴ)とかけているのだろうが、
正直、物凄く不愉快である。

ホッシーニは余りにもさり気なく、シンギリンギと呼んできたので
「なにが、シンギリンギじゃ、このボケ!」と返す余裕もなく、
その場は特に何も言わずに終わってしまった。

その日は、新しい教授が授業をする日であり、いつものように
生徒がそれぞれ自己紹介をすることになった。
良い機会なので、私は次のような自己紹介をした。

「えー、私の名前はシンゴです。ダニエル・アウビスの件で見られるように
ブラジル人は、人種差別には反対しているようですが、どうやら実態は複雑で、
このクラスには私のことを、中国、中国人、シンギリンギと呼ぶ輩がいるのです。
しかし、私は日本で生まれ育ち、両親ともに日本人です。ちなみに、ブラジルに住んで2年弱です。」

一瞬、クラスが静まり返った。
「Você está bravo não é?(きみ、怒ってるのかい?)」とクラスメートが聞いてきた。
「ああ、そうさ、頭に来てるね」
と返したが、彼は、何で私がそんなに怒っているのか良くわかっていないみたいであった。

まあ、これだけ言っておけば、今後、私に向かってシンギリンギと呼んでくる輩も
いないだろうと溜飲を下げたのであった。

外国人と話したことがない者も多いので、デリカシーの無さは
大目に見てやるか、と思って、学校から帰る途中に海岸沿いを歩いていると、
自転車に乗ったオヤジが通り過ぎさま、クルッとこちらをみて、「ニーハオ」と言ってきた。

あ~、低能なオヤジだな~と心の中で蔑みつつ
とりあえず、眼を付けておいた。
ホントにブラジルの田舎に住むのは、たまに疲れるときがある。

ところで、ブラジル人は、日本人を見ると、「Japa(ジャッパ)」と言って来る。
それも、悪口ではなく、本人に面と向かって呼んでくる。
このジャッパというのは、言うまでもなく英語の「Jap」のポルトガル語版である。

ブラジル人は、「Jap」が戦時中に日本人を軽蔑するために
使用されていたといことを知らないで使っていると思われる。
というのも、仲良くなったブラジル人も親しみを込めて「ジャッパ」と呼んでくるからだ。

初めてジャッパと呼ばれた時は、驚きで舌を噛みそうになったものである。

来日したアメリカ人に対して、日本人が「鬼畜」とか「アメ公」とか
呼びかけているのを想像してみてください。

でも、最近は、もう慣れてしまったので、ジャッパと呼ばれても気にならなくなってしまった。
ブラジル人も悪意があって使っているわけではないようだし。


ところで、ブラジルでは、身体的特徴をあだ名にすることが珍しくない。
ブラジルに来て間もないころ、ブラジル人が友人を紹介するときに
「こいつはゴルジっていうんだ。」
と教えてくれたので、私も彼のことを「ゴルジ」と呼んでいた。
あとで分かったのだが、それはニックネームで、「デブ」という意味だったのだ。

他にも、禿げ頭、おかま野郎、やせっぽなど、というニックネームを聞いたことがある。
ブラジル人は、これらのニックネームを陰口ではなく、
本人に面と向かって呼びかける。
(ただし、仲が良いもの通しの間だけである)

まとまりのない文章になってしまったが、結論として、
ブラジルでも、少なからず、人種差別の雰囲気はあるようである。
それでも、それを補ってあまりあるほど、良い思いをすることもあるので、
総合的にみると、私はブラジルが大好きだ。
プロフィール

shingo

Author:shingo
ブラジル、ペルナンブッコ州在住、
三十路男のブログです。

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